株式会社ラブサンシャイン は、
西浅草(合羽橋)にゲストハウス
LOVESUNSHINE BACKPACKERS!
を開業します。
30年前、初めての海外旅行が、バックパックと寝袋を担いでアメリカ周遊でした。
アラスカ・フェアバンクス郊外の山小屋で見たオーロラは、感動的でした。
翌年、一人旅の魅力に取りつかれた私は、憧れの地インドへ。
椎名誠、妹尾河童、沢木耕太郎の影響を受け、地球の歩き方を片手に、真夜中のデリー空港に降り立ちました。
当時のデリー空港は、そりゃもう寂れていました。
しかも、国際空港であるにも関わらず、電灯が少なく、真っ暗で人もまばら。
めちゃくちゃ恐ろしかったです。
途方に暮れて、空港のロビーで一夜を明かす事を覚悟した私に、一人の日本人が声を掛けて下さいました。
彼は、学生時代にインドを旅し、社会人になって長期休暇を取得して再度、インドを訪れたそうです。
‘インドには二度と来たくない!’ という人と、
‘インドにハマる’ という人に分かれると言っていました。
二人でオートリクシャーに乗って、メインバザールで目星を付けたゲストハウスに飛び込みました。
私のゲストハウスを巡る旅の始まりです。
バラナシの極安ドミトリーは、強烈でした。
滞在期間の長い古株にならないとマットレスに在りつけず、土間に敷物を敷き、荷物を盗まれない様に胸に抱えて寝袋に潜り込む。
朝起きたら・・・隣に、猿が寝ていました。
どうやら ‘インド人の猿使い’ が泊まっていたみたいです。
さすがに、お猿さんとの同部屋は堪えました。
アグラーからの夜行列車。
現地で仲良くなったミッキー(インド人なのに名前が洋風)と映画を観ていて、
発車時刻ギリギリにバイクで駅まで送ってくれました。
「ラブサンシャイン、あの電車だ、飛び乗れ!」
「ミッキー、ありがとう! ナマステ~」
お~い、ミッキー!
全然、違う列車じゃん。
しかも夜行特急、当然、私の席は無し。
親切な家族連れが、向かい合う寝台シートの足元を空けて下さいました。
床に寝袋を敷いて寝たのですが、とても安心して熟睡出来たのを覚えています。
早朝に起こして下さり、朝食も分けて下さいました。
紙にヒンディー語で、乗換駅と間違って乗車した事を書いて下さり、
駅員に見せろ! と持たせて下さいました。
今でも忘れられない貴重な経験です。
汚くて、臭くて、騙す人がわんさか居て、貧富の差が激しくて、
見るもの見るものが強烈で、刺激的で。
悲しい思いをいっぱいしました。
多くの人に出会い、多くの人に助けてもらいました。
インドが、私の旅の原点です。
ゲストハウスを始めます。
西浅草 LOVESUNSHINE BACKPACKERS!